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さぬき市の一級建築士「谷野設計」の寺社建築探訪記さぬき市の一級建築士「谷野設計」の寺社建築探訪記

2015.10.23

平城京跡地・復元された大極殿―復元工事と奈良時代の瓦造りの発達

今回は、第一次大極殿の復元工事について
大極殿の歴史と内部天井周りはこちら

大極殿の発掘調査が始まったのは、昭和45年。
第一次大極殿が恭仁宮に移築された後に、新たに宮殿施設が建築されていたため、遺構は大きく壊されていたそうです。
痕跡の見つかった大極殿の基壇と階段の基礎部分の痕跡が見つかったため、平面規模を確定することができたそう。(展示資料より)

大極殿を直接的に示す資料が残っておらず、復元にあたっては、移築された恭仁宮の大極殿跡の調査と、現存する法隆寺金堂や薬師寺東塔などの古代建築、平安時代の「年中行事絵巻」に描かれた平安宮の大極殿などを参考にされたそうです。


復元工事に用いられた主要木材は、樹齢約250年の国内産のヒノキやケヤキ。
現在ではあまり見られなくなった手斧(ちょうな)加工や仕口加工で仕上げています。


屋根には、約10万枚の瓦が使用されています。
瓦製作には発掘調査で出土した大極殿の瓦の色味を再現するため、鉄分の多い黒い粘土の水溶液を塗り、約1100度の温度で2日間かせて焼成したと、展示内容にありました。

展示してある軒瓦は軒丸瓦と軒平瓦を組んで展示されていました。
軒丸瓦の文様は「蓮華文(れんげもん)」、軒平瓦の文様は「唐草文」です。
いつもは、蓮華文ですよ~で終わるのですが、今回はちょこっとだけ詳しく。
この蓮華文は、正確には「複弁蓮華文」といいます。

平城京に都が遷る前の藤原京から宮殿建築に初めて瓦葺き屋根が取り入れられました。(それまでは寺院建築に限られていました)
7世紀後半にそれまで単弁だった蓮華文に複弁が誕生し、藤原京・平城京と複弁蓮華文が使用されていました。
奈良時代を通して、軒丸瓦で複弁蓮華文、軒平瓦で唐草文は主流な文様になります。
寺院建築に限られていた瓦葺きが宮殿建築に取り入れられるようになり、瓦造りは各地で活性化します。
宮殿の建築の際には、大和を離れた遠方にも瓦を発注していたことが分かっています。
私の地元さぬき市大川町も古代瓦造りが盛んで平城京にその瓦が使用されたとされています。

瓦造りが、寺院建築と宮建築に携わる組織が異なるため、それぞれで瓦造りが発達し、文様の型式も多様になります。

 

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