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さぬき市の一級建築士「谷野設計」の寺社建築探訪記さぬき市の一級建築士「谷野設計」の寺社建築探訪記

2015.10.17

平城宮跡地・復元された大極殿―内部天井周り

昨年のことですが、平城宮跡地を訪れました☆

入場可能な時間にギリギリだったため、この広~い敷地を猛ダッシュ!!

汗だくになりましたが、走った甲斐あってなんとか駆け込みセーフ✩

内部も見学することが出来ました(^_^)

平城宮跡地・大極殿

撮影許可を頂き、沢山写真を撮りました☆

大極殿内部に入ってすぐ、
「あおによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛なり」
平城京を詠んだ有名な和歌が出迎えてくれました。

平城京遷都1300年にあたる平成22年に完成した第一次大極殿の復元工事。
『大極殿は、天皇の即位の儀式や元日朝賀などの国家的行事を行う最も重要な建物で
「大極」とは宇宙の根源を表し、古代中国の天文思想では北極星を意味する。(展示資料より)』

先ずは、大極殿の歴史について。
第一次大極殿は平城京遷都(710年)直後に平城京の中軸線に建てられた中心的建物で、その後、恭仁宮(くにのみや)遷都(740年)に伴い恭仁宮に移築されます。

難波京への遷都を経て745年には再び都が平城京に戻ることになりますが、移築して間もない大極殿は恭仁宮に取り残される形になりました。
取り残された大極殿は、山背国分寺の金堂として受け継がれることになります。(882年に焼失)
ちなみに、第一次大極殿は平城京の前に藤原宮にあり、そこから移されたという説もあります。

都が遷るとともに移築されてきた建物となると、大極殿そのものの重要性がよく分かりますね。

今回は、復元された大極殿内部の天井周りに注目。

天井には、蓮の花の画が描かれています。

奈良県在住の日本画家 上村敦之氏の原画だそうです。
その全てが一枚一枚色付けも手作業!

小壁には、四神と十二支が同じく上村氏により描かれています。
四神は、北を玄武、南を朱雀、東を青龍、西を白虎とし、古代中国の天文学に照らした建物の守り神です。

北の玄武

十二支(子・丑)

十二支(寅)と東の青龍

十二支(卯・辰)

(見切れてますが)十二支(巳)と南の朱雀

十二支(午)

十二支(未・申)

 

 

十二支(酉・戌)

十二支(亥)、撮り漏れてました((+_+))

西の白虎

柱の塗装は、丹土(につち)という平安時代に多用された顔料が使われています。

 

大極殿の中心には高御座(たかみくら)があります。

※高御座とは、天皇の玉座のこと

天皇は南面して座られます。

本殿から朱雀門を望む

この写真は、本殿から朱雀門を見た様子です。
朱雀門が遥か遠くに見えます。
目の前の広い敷地部分は、平城京があった当時、多くの貴族たちで賑わっていたのでしょうね。
平城京は長安をまねて建築されたことは有名ですが、奈良時代以前の建物(厳密にはその少し前からですが)と奈良時代の建物では、組み物の構造が大きく変化しています。
それまでの建築技術に、唐から伝来した構法によって日本の伝統建築が大躍進をする一つの大きなきっかけとなりました。
数多くの調査と研究、復元に関わる多くの方のおかげで復元された大極殿、感慨深いものがありました。

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